HISTORY

1957(S32)-1988(S63) 1989(H1)-2019(H31)

1957年(S32)

ショー映画と称するストリップの記録フィルムが公開されはじめる(国映他)

1962年(S37)

ピンク映画第1号・小林悟監督『肉体の市場』(大蔵)公開

本木荘二郎監督『体自由貿易』でデビュー

関孝二監督『情欲の谷間』(国映)でピンク映画デビュー

1963年(S38)

「スーパージャイアンツ」の三輪彰監督『熱いうめき』でピンク映画デビュー

沢賢介監督『新婚の悶え』(国映)でピンク映画デビュー

若松孝二監督『甘い罠』でデビュー

『情欲の洞窟』(監督/関孝二)を取材した村井実が、独立プロ系の成人指定映画を「ピンク映画」と命名

新藤孝衛監督、オムニバス作品『おいろけ作戦・第1話プレイボーイ』でデビュー(第2話プレイガールは若松孝二)

1964年(S39)

小川欽也(和久)監督『妾』でデビュー。初めてパートカラーが採用される

『誤審』(監督/若松孝二)ロケ中の事故で男優2名が死亡

TBSディレクター今野勉が『裸虫』を撮る

※この頃、ピンク映画製作会社急増。製作本数が百本を超える。一般映画から転出する監督も相次ぐ

1965年(S40)

向井寛監督『肉』でデビュー

山本晋也監督『狂い咲き』でデビュー

『好色森の石松』(創映 監督/大貫正義)に噺家の柳家小せんを起用

ピンク映画初の海外ロケ『太陽のヘソ』(監督/若松孝二)がハワイで撮影される

渡辺護監督『あばずれ』でデビュー

西原儀一監督『激情のハイウェイ』でピンク映画デビュー

初のピンク映画専門誌「成人映画」創刊

『壁の中の秘事』(監督/若松孝二)がベルリン国際映画祭で上映され国辱映画と呼ばれる

梅沢薫監督『十代の呻吟(うめき)』でデビュー

女優の扇町京子が『やくざ芸者』で監督デビュー

※この頃から配給チェーン網が形成され始める。年間製作本数も二百本を超える

1966年(S41)

木俣堯喬監督『肉体の河』でデビュー

大和屋竺監督『裏切りの季節』でデビュー 

足立正生監督『堕胎』でデビュー

東京12チャンネルで「意義あり!ピンク映画有用論」が放送され、大蔵映画社長・故大蔵貢が出演する

1967年(S42)

人気女優・新高恵子が引退。劇団・天井桟敷へ

初のオールカラー作品として『あばずれの悦楽』(監督/小林悟)など三本が公開される

奇跡的にフィルムが現存しているピンク怪談『生首情痴事件』(監督/小川欽也)公開

日本初の立体映画『変態魔』(監督/関孝二)公開

『胎児が密猟する時』(監督/若松孝二)がブリュッセル国際映画コンクールに出品される

1968年(S43)

『徳川女系図』(東映)、『女浮世風呂』(日活)など、大手会社の成人映画にピンク女優が大挙出演

前年に引き続きピンク怪談『怪談バラバラ幽霊』(監督/小川欽也)公開される

ピンク初の透明人間モノ『透明人間・エロ博士』(監督/関孝二)公開

若松孝二監督、伊丹十三を起用し、『金瓶梅』(松竹配給)でメジャーに進出

『恐るべき密戯』(監督/木俣堯喬)に野末陳平が出演。カラミを演じる

勝新太郎のそっくりさんを起用した『好色坊主・四十八手斬り』(監督/梅沢薫)に大映がクレーム

1969年(S44)

『禁じられたテクニック』(監督/向井寛、66年作)が『ナオミ』のタイトルでイタリア公開され、ワイセツ過ぎると上映禁止に。早稲田大学の大隈講堂で凱旋上映される

陰部が光るアイデア映画『ピカピカハレンチ』(監督/関孝二)公開

のちに日活系で人気シリーズとなる未亡人下宿の第1作、『貸間あり・未亡人下宿』(監督/山本晋也)新東宝系で公開

『裸体(はだか)の街』(監督/木俣堯喬)に作家の田中小実昌が出演。カラミを演じる

沖島勲監督『ニュー・ジャック&ベティ』(モダン夫婦生活読本)でデビュー

足立正生らが永山則夫の足跡を描いた『略称・連続射殺魔』を製作

東通系(後のミリオン)ピンク映画配給スタート

※この頃からピンク女優の実演つき映画興行始まる

1970年(S45)

ドキュメンタリー風の『ピンク映画十年史・性のあけぼの』(監督/梅沢薫)が公開される

ピンク女優・浅香なおみが、作家・鈴木いずみに転身

小水一男監督(ガイラ)『現代性愛論・私を犯して』でデビュー

1971年(S46)

稲尾実(深町章)監督『色くらべ・色布団』でデビュー

中村幻児監督『完全なる同性愛』でデビュー 

若松孝二&足立正生監督がパレスチナの記録映画『赤軍-PFLP・世界戦争宣言』を製作

日活ロマンポルノがスタート。第1作にピンク女優だった白川和子が起用される

日活ロマンポルノの併映作品として、予算の高いピンク映画が製作される

1972年(S47)

男優の野上正義が『性宴風俗史』で監督デビュー

女優の谷ナオミが『性の殺し屋』(脚本/団鬼六)で監督デビュー

若松孝二監督、ATGで『天使の恍惚』を撮り、「無差別テロ映画」と呼ばれる

『女学生芸者』(監督/梅沢薫)がわいせつ容疑で摘発される

高橋伴明監督『婦女暴行脱走犯』でデビュー 

木俣堯喬監督の息子・和泉聖治監督が『赤い空洞』でデビュー

小林悟監督、荒木一郎&ひし美ゆり子を起用し、『鏡の中の野心』(東活製作・松竹配給)を撮る

代々木忠監督『ある少女の詩・快感』でデビュー

浜野佐知監督『17才好き好き族』でデビュー

※この頃、後の東活になる和光映画・ゴールド・田園プロなどが、小林悟監督らを起用し、ピンク映画製作を開始する 

1973年(S48)

大蔵映画が日活ロマンポルノに対抗して、製作費1億円の大作『人類の性典』(監督/小川卓寛)を製作する

ピンク映画専門誌「成人映画」廃刊

ピンク映画唯一のスタジオであった大蔵スタジオが閉鎖される

1974年(S49)

スタッフ全員が大学生という『キャンパスポルノ・ピンクの乳房』が公開される。助監督の一人として大森一樹が参加

『未亡人下宿』(監督/山本晋也)がロマンポルノ併映作品として製作される

全作品がオールカラーになる

1975年(S50)

池袋文芸地下で山本晋也監督作品が特集上映される

※この頃、日本シネマ・葵映画・国映・東京興映・新東宝の各社の作品が「新東宝配給」として統一される

1976年(S51)

ピンク映画の監督・俳優が「独立映画人協会」を設立。配給会社に製作費のアップを要求する

ピンク&ポルノのアイドルとなる原悦子が『麻雀ポルノ・パイパン性合戦』(監督/小川卓寛)でデビューする

75年に自主製作された井筒和幸監督『行く行くマイトガイ・性春の悶々』が、ミリオン系で公開される

※この頃、東映セントラルが向井寛監督を中心にピンク映画製作を開始。後の獅子プロの母体となる

1977年(S52)

元・東宝のプロデュ―サーで、変名を駆使して創生期からピンク映画を撮り続けた本木荘二郎監督が死去する

1978年(S53)

女優・東てる美が製作・監督・出演した『闇に白き獣たちの感触』、自主公開されるも、ピンク系では公開できず

大蔵映画社長・大蔵貢死去

飯泉大(北沢幸雄)監督『さすらいの性』でデビュー

1979年(S54)

山本晋也監督、所ジョージ主演の『下落合焼き鳥ムービー』(東映セントラル)で一般映画進出

若松孝二プロデュースで新人監督のオムニバス作品『レイプゾーン・犯しの履歴書』(監督/福岡芳穂・磯村一路・鈴木敬晴)公開される

1980年(S55)

第一回ズームアップ映画賞開催

磯村一路監督『ワイセツ?ドキュメント連続変質魔』で長編デビュー

スチールカメラマン津田一郎による「ザ・ロケーション」発行される(84年、森崎東監督により松竹で映画化)

男優の市村譲が『女高生・いたずら』で監督デビュー

大阪で第一回ピンクリボン賞開催。監督賞を受賞した渡辺護は、翌年同賞の製作で、『好色花でんしゃ』(主演/鹿沼えり・チャンバラトリオ)を撮る

元小学校教師で女優の浜恵子が『痴漢民宿ざこ寝』で監督デビュー

池袋文芸地下で女優・日野繭子特集上映 

小水一男監督『ラビットセックス・女子学生集団暴行事件』でカムバック

1981年(S56)

井筒和幸監督『ガキ帝国』(ATG)で一般映画進出

東活から増田俊光監督『暴行でめざめ』でデビュー

福岡芳穂監督『ビニール本の女・密写全裸』で長編デビュー

ズームアップ映画賞の母体となった雑誌「月刊ズームアップ」廃刊

滝田洋二郎監督『痴漢女教師』でデビュー

ピンク映画専門のミニコミ「ズームアップII」創刊 

女優の珠瑠美が『復讐セックス・女が犯す』で監督デビュー

1982年(S57)

ホテルニュージャパンの火災で、女優・沢田多絵死亡

水谷俊之監督『猟色OL犯す』でデビュー

和泉聖治監督『オン・ザ・ロード』(松竹)で一般映画進出 

高橋伴明監督『TATTOO[刺青]あり』(ATG)で一般映画進出。同作に主演した関根恵子と結婚し、話題となる

アダルトビデオをブローアップした『THE ONANIE』(監督/代々木忠)がヒットし、シリーズ化される

向井寛監督『おんな六丁目・蜜の味』(東映セントラル)で一般映画進出

東梅田日活&新宿東映ホール1が初の薔薇族映画『薔薇と海と太陽と』『白い牡鹿たち』『薔薇の星座』(監督は全て松浦康治)を公開する

中村幻児監督『ウィークエンド・シャッフル』で一般映画進出

高橋伴明プロデュースで、宇崎竜童(『さらば相棒』)&泉谷しげる(『ハーレム・バレンタインディ』)がピンク映画監督に挑戦。自身の監督作『狼』も含め、東急系でロードショー公開される

廣木隆一監督『性虐!女を暴く』でデビュー

1983年(S58)

ENKが本格的に薔薇族映画製作に乗り出す。第一作は中村幻児監督による『巨根伝説・美しき謎』

片岡修二監督『予告暴行・犯る!刺す!』でデビュー

女優の五月マリアが『変態若妻責め』で監督デビュー

男優の北村淳が『女教師・緊縛化粧』で監督デビュー(監督名は新田栄)

にっかつがロマンポルノ併映用ピンク映画の買い取りを中止する

黒沢清監督『神田川淫乱戦争』でピンク映画デビュー

獅子プロ製作で、若手監督のオムニバス作品『移動売春いってもいいとも』(監督/西田洋介・片岡修二・渡邊元嗣)が公開される

木俣堯喬監督『鍵』で一般映画進出

1984年(S59)

にっかつが1000万の低予算ロマンポルノの製作を開始。ピンク映画の監督が起用される

渡辺護監督『連続殺人鬼・冷血』で一般映画進出 

竹中直人が『痴漢電車・下着検札』(監督/滝田洋二郎)に出演する

風営法改正の余波を受け、成人映画の題名・宣伝物についての自主規制が始まり、女高生・セーラー服などの用語が使用できなくなる

渡邊元嗣監督『女教師・淫らな放課後』でデビュー

石川均(欣)監督『若妻変態性戯』でデビュー

周防正行監督『変態家族・兄貴の嫁さん』でデビュー

異色俳優の麿赤児が『性獣のいけにえ』で監督デビュー

細山智明監督が卒業製作の予定で撮った『実録・桃色家族性活』でデビュー

関根和美監督『OL襲って奪う』でデビュー

1985年(S60)

望月六郎監督『本番ビデオ・剥ぐ』でデビュー

佐藤寿保監督『激愛!ロリータ密猟』でデビュー

1986年(S61)

男優の港雄一が薔薇族映画『刺青・愛・裸舞』で監督デビュー

東映セントラルがピンク映画から撤退する

滝田洋二郎監督『コミック雑誌なんかいらない!』で一般映画進出 

小川欽也監督、新田純一&乙女隊主演で一般映画『乙女はいつか星になる』を撮る

1987年(S62)

若手ピンク映画監督の一般映画進出相次ぐ(望月六郎『スキンレスナイト』、福岡芳穂『童貞物語3 とっておきVirgin Love!』、廣木隆一『童貞物語4 ボクもスキーに連れてって』)

1988年(S63)

ミリオンフィルムがピンク映画から撤退する

にっかつロマンポルノ終焉。系列会社のエクセスフィルムがピンク映画製作に乗り出す

内藤忠司監督『悶絶!!処女の泉』でデビュー

笠井雅裕監督『いんらん姉妹』でデビュー

橋口卓明監督、薔薇族作品『ときめきの午後』でデビュー

作成:石動三六・松島政一・林田義行  協力:牛山哲

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