2004.12.12(日)〜13(月) コンテ。 SMシーンが、一部二部にそれぞれ5回づつあり、コンテやってると途中で見切れしてくる。もうたまりませんという感じ。とてもじゃないけど全部のプランニングは出来そうもない。2つ3つのシーンはもうほっぽっておこう。現場での集中力とインスピレーションに賭けよう…と思う。 ところで正式な公開タイトルが決定した。 第一部が『襦袢を濡らす蛇 −SM開華編−』。 第二部が『人妻を濡らす蛇 −SM至極編−』。 公開は、第一部が4月の下旬。第二部が5月の上旬の予定。ま、いわゆるゴールデン・ウィーク作品ってヤツね。 2004.12.14(火) 緊縛師の千秋さんと打ち合わせ。 演出部の最終的な小道具、衣裳確認、スケジュール等の打ち合わせ。 2004.12.15(水) 朝8時集合。ロケハン。2日に見切れなかった都内のオープンロケの候補地を見て回る。 午後2時から撮影の志賀ちゃん、演出部と最終的なコンテ打ち合わせ。2本分となるとさすがに長い。えんえんとくり返されるSMシーンに、オレが一人でコンテやってるバテたあたりで、やはり全員がバテてくる。もうあとは現場でいいだろうということで、夜9時解散。 2004.12.17(金)〜22(水) オーピー映画「SM・二部作」撮影。 今までも、2本撮りは何度かやってきてるが、今までは、片やシリアスならば、片やコメディという具合に違うネタをやってきた。それで気分が変わってより乗れたということもいえる。 ところが今回は、全く同じSMもの2本。簡単に言うと120分のピンクを撮るということだ。 コンテの段階ではかなりウンザリもしてきたが、もうここに至っては四の五の言ってられない。一気にテンション上げて突っ走るのみだ。 撮影は、17日が都内分のロケ。18日を撮休として、19日から22日までの4日間が山梨ロケだ。つまり5日撮りだ。手間ヒマかかるSMものだけに、本音では6日かけたいところだが、予算的な問題が重くのしかかり、5日でやるしかないのだ。いつものことだがね。そういえば今年の春先新東宝でやった『淫乱なる一族』二部作も撮休を一日はさんでの5日撮りだったことを思い出す。 初日。 唯一の都内ロケの日。例によって朝7時半新宿西口集合。 まずは上野へ。上野公園で実景もふくめ3シーン。お茶の水へ移動して2シーン。新宿へ移動。西口公園で遅い昼食。公園で1シーン。西口の大歩道橋で1シーン。 午後3時すぎ、国領の後藤大輔監督宅へ移動。ここからは後藤邸を借りてのロケとなる。しかも後藤邸では、第二部のパートのみ。後藤宅で5シーン消化。第二部のラストシーンも含めてだ。いきなりのオーラス・シーンだが、四の五の言ってられない。消化していくしかない。 夜の9時過ぎ、後藤邸終了。再び新宿へ戻る。 西口地下街で1シーン。 夜11時過ぎ、本日の最後のロケ地となる新宿の某シティホテルへ入る。ここからが早かった。第一部のベッドシーン2つあったのだが、2つ合わせて撮影時間は1時間超で終わる。今回はSMがテーマなので普通のHシーンに対して思い入れがないということが大きいね。 深夜2時過ぎには撤収。ホテルの部屋にオレ一人残される。コンビニまで酒を買いに行き、4時過ぎまで飲む。 とりあえず初日は予定通りというか、大きな問題もなく無事終った。 いいかげん酔ってきたところでベッドに入る。 2日目。 今日は撮休。 ホテルをチェックアウトタイムの午前11時に出る。真っすぐ家に帰る気にもならないので、映画でも久々に見るかと新宿の街をぶらつく。『ゴジラ ファイナル・ウォーズ』を見る。導入部は面白かったが、あとはそんなにワクワクしない。やはり心がここにないせいか。それとも、新宿の劇場の小さいスクリーンのせいか。オレには退屈なゴジラ映画でしかなかった。 3日目。 今日から4日間、山梨・塩山の水上荘ロケ。たいへんな4日間になるが、特にたいへんなのが今日の初日。水上荘で撮る分の3分の1以上が今日の初日に集中しているからだ。初日から徹夜となるのを見越しての出発となる。 例によって朝7時半新宿出発の予定が、山口の遅刻で8時出発となる。いきなり痛い! 10時、塩山出発。まずは実景をいっぱつ。 11時、水上荘に入る。まずは芝居を2シーン。遅い昼食をはさんで、さらに芝居を1シーン。そしてSMシーンに突入。男が3人の男女に陵辱されるという、オレとしてはけっこう好きなシーンであった。夜8時頃終了。 遅い夕食をはさんで、9時頃から次のSMシーンへ突入。ここはカットも少なかったし、放尿の仕掛けもうまくいき、12時前に終了。 芝居を2シーン。そしていきなりの正念場となる最大のSMシーンとなる。なんせ、65ページの台本のうち、8ページに渡る長いシーン。なんと全体の八分の一だぜ。それを深夜の2時頃からやろうというんだから、初日からして狂気の沙汰。ホントはこんなムチャなことしたくはない。しかしすべては予算の問題。みなさん、ゴメン。やるしかないのだ。 コンテでは60カットくらいある。このまま撮っていったら10時間はゆうにかかる。さすがに昼間ではやりたくないので、このカット数をいかに合理的に減らして、うまくもっていけるかの勝負となる。こういう時ほど集中力が増し、インスピレーションが生まれる。カット数も40数カットに減らし、ほとんどが片撮りとなったが、なんとか朝の8時に終了となったのだった。ずっと縛られたままで頑張ってくれた持田さつき、そしてギャルたち全員のめんどうまで普通のマネージャー以上に見てくれている緊縛師の千秋さん、そして他のスタッフ、キャストたち、みんなの頑張りで何とか8時に終わらせることが出来たのだ。 すべて片撮りで、しかも以上に長いシーンなので、うまくつながっているかどうか…少し不安だが、今はとにかくやり切れた満足感の方が強い。 風呂に入り、ビールをくいっと飲み、9時にフトンに入る。11時起床。2時間寝れる。 4日目。 というわけで2時間寝て、11時起床。みんなで朝食兼昼食を取る。 12時、オープンに出発。実景も含め9シーン消化。 3時頃、宿にもどり庭で1シーン。 ところで、今日は水上荘4日間のうちで最もラクな日。本日の予定は、縛りのイメージ、SMシーンひとつ、そして物撮りの3シークエンスを残すのみ。 縛りのイメージ・シーン。夕食をはさんで本日唯一のSMシーンとなる。そして120分の本編中唯一の主役2人のみのSMシーンなのだ。そのせいもありじっくり撮る。なかなかいい。 終了、深夜12時。その時点で物撮りは欠番とする。今日は飲もう!だよ。 結局、朝の5時まで飲んでしまう。千秋さんがタフでね。付き合いがいい人なんだな。ついついね。 5日目。 今日は2番目にたいへんな日。ま、毎日たいへんななんだけどね。オレは7時半の朝食を拒否して、8時半の撮影準備開始ギリギリまで寝てる。 まずは実景を含め芝居場を6シーン。オープンに出て1シーン。 暗くなりかける頃にSMシーンをまずはひとつ。新人の水沢ゆうな嬢。本職は浅草ロック座のダンサーとのこと。さすが体が柔らかい。Hだ。 次に、本編中2番目に長い5ページに渡るSMシーン。そして最後に3ページに渡るSMシーン。 終了、朝の5時。 すぐ寝ればいいものを、オレはまた千秋さんと7時頃まで飲んでしまったのだった。 最終日。 9時起床。 10時開始だが、オレは朝食抜きで10時行動開始。 午前中はじっくりと重要な芝居をいっぱつ。 午後は近くの廃屋に移動。本編中クライマックスとなる宙吊りシーンに挑む。 夕方ギリギリ終了。寒い中、過酷な撮影に耐えた山口真里、よくぞ頑張ってくれた! 夕食をはさんで、体が動かなくなった山口の回復を待つこと3時間。夜9時撮影再開。芝居場を4シーン。 11時終了。これにて今回の役者の出番はすべて終了となる。 ビデオ映像の画撮。 終了、深夜12時。 2時、水上荘撤収。 4時、家にたどり着く。 とりあえず終わった。いつものことだけど、参加してくれたすべてのスタッフ・キャストに感謝だね。特に過酷な中、最後まで頑張ってくれたヒロイン役の山口真里、毎晩夜食を用意してくれるほど、みんなの面倒を見てくれた緊縛師のナイスギャル千秋さん(緊縛の技術は言うまでもなくすばらしいものであった。SM専門のアートビデオの連中が、ぼくらよりその人の方がきっと色んな点でうまいですよ、と言ってたけど、ホントだったよ)、いつもながらの冴えを見せてくれたキャメラの志賀ちゃん、助監督をしてくれた森山…彼らには特に感謝したい。 心地いい気分の中、風呂に入ったり、酒を飲んだりして、結局朝の8時頃まで起きていたのだった。 これぞ「甘い生活」だ。 2004.12.24(金) 例年のごとく、五代親子、五代の友人の親子とクリスマス・パーティ。心地よく酔う。 2004.12.25(土) 編集。2本まとめてとあって少々疲れた。しかしそれも実に心地いい疲れである。 夜の9時終了。 非常に満ち足りたシアワセな気分で、一人地元の町で酒を飲む。どうして映画を撮ると、こんなにシアワセな気分にひたれるのだろう…? もう他には何もいらないという気分だ。 今回はまとめて2本やったので、単純に言うと、いつもの2倍たいへんであった。そして、いつもの2倍楽しかったのだ。つまり、シアワセな気分もいつもの2倍ということね。 2004.12.26(日) いきなり熱が出る。38度6分もある。どこにも出かけず、一日中最近はまっている東野圭吾の小説を読んですごす。 2004.12.27(月) オールラッシュ。再編集。 昼頃、編集室で熱をはかると、オレの平熱の36度前後に落ちついていた。昨日のあの高熱はいったい何だったのだろう。 終了、9時。熱をはかると37度に上がっていた。やはり疲れで熱も上がったということか。今日は体を休めようと、どこにも寄らず真っすぐ家に帰る。 2004.12.29(水) 恒例のシネキャビン忘年会。今年ものべ百人くらいは来たのであろうか。オレにとっては今年初の忘年会。とりあえず編集までは無事に終了した充実感もあり、実にいい気分で酒を飲み、結局は翌朝の8時まで飲んでいたのだった。 2004.12.31(金) 雪が降る。久々に原宿のラブ・ミー・テンダーへ行く。ELVISのニューCD6タイトルなど購入。残念ながら、来年のカレンダーはすべて売り切れていた。十数年ぶりにELVISのカレンダーなしの年を向かえることになるか。 ラブテンのあとは、毎年恒例の、早稲田の穴八幡にお札をもらいに行く予定であったが、あまりの大雪に恐れをなし、穴八幡はあきらめて家へ帰る。 ELVISを聞き、K1、PRIDEを見ながら、新年を向かえたのだった。 ここ数年そうであったように、みんなと大騒ぎしながら新年を向かえるのも楽しいが、こんな大雪の日は、一人静かに部屋にこもって大好きなELVIS、格闘技にひたるというのもいいものだ。ベートーベンの第九も聞いたよ。 |