2004.11.25(木)

もう一ヶ月近く助監督を捜し求めているものの今だに決まらず、クランクイン予定の3週間前となる。オレも気弱になり、もう今日明日くらいに決まらなければ、年内の撮影はムリだなとなかば覚悟を決めた瞬間、一本の電話あり。森山からだった。森山にも当然、「お前、やれんか?」とは聞いていたが、その返事の期限をもう10日も過ぎていたので、オレとしては、出来ないということだろうと決めつけるしかなかったってわけ。
ところが、「オレ、やりますよ」。
地獄に仏とは、まさにこのことだね。
さすが森山、オリの弟子だよ。ホントありがたかった。
こうなると一気にテンション上がるのがオレの常。五代と印刷屋にTEL。27日までには印刷台本上がるように手配する。
ずっと中途半端な気分でいたが、クランクインまであと3週間、一気にガーッといくぞ!

2004.11.27(土)

緊縛師の狩野千秋さんと会い、正式に緊縛の依頼をする。ちなみに女性。とてもエネルギッシュでテンダネスでおおらかな方なので、ホッとする。神戸の紹介なのだ。神戸に感謝。
新宿で五代と打ち合わせ。ギリギリまでかかって五代が決定稿を仕上げてきたというわけ。そのまま印刷屋へ飛び込む。ギリギリセーフ。
五代と祝杯。ま、何とかクランクイン出来そうということに対するオレたちだけのお祝いだね。

2004.11.28(日)

印刷台本上がる。一回目の演出部打ち合わせ。オレと森山、そしてその下に見習いクラス2人、中川くんと松本くんだ。この2人では心もとないので、現場だけでも誰か出来るヤツに来てもらおうとなる。少し前に高田宝重から、現場だけは行けますという返事をオレはもらっていたので、では高田に来てもらおうとなる。高田がオレの助監督やるのは8年ぶり。つまり、高田と森山がそろうのも8年ぶりということになる。以前はこの2人のコンビで何年かやってもらったことがある。楽しい現場になりそうだ。

2004.11.29(月)

今回のSM映画2本撮りのヒロインとなる山口真里と打ち合わせ。このコはAVを何年かやってる天然美巨乳のコで、AVではそれなりに人気はあるようだが、事情があってAVの名前は使えないので、この名がピンク用の芸名ね。彼女も初のピンクでセリフ憶えられるのかしら?とか不安がってるけど、不安なのはオレも同じ。彼女の芝居は見たこともないし、その存在感も分からないんだからね。でも、美巨乳なので縄には栄えるだろう、とりあえずはそれだけでも充分って感じでいくしかないんだよね。

2004.12.1(水)

コンテ。SMものはどうにも分からん。8年前に唯一撮った本格的SM映画『SM教師 教え子に縛られて』のビデオを引っぱり出し参考試写。余りに面白いので見いってしまう。なんでこんなにうまく撮れたのだろう。不思議だ…と思うほどうまくいってる。台本まで引っぱり出し研究。という具合に『SM教師』にははまっても、今回のオーピーのヤツは全くはかどらず、頭も働かず。ンー、まいった。インスピレーション、ノリというヤツがやってこないのだ。

2004.12.2(木)

ロケハン。
今回はオレの組としては久しぶりに山梨の水上荘ロケとなる。『性奴の宿』以来だから4年と10ヵ月ぶりくらいだ。
8時新宿集合で目的地へと向かう。
オープンロケの場所、水上荘をじっくりと見て回る。水上荘となると、もう一回見に来ようというわけにはいかないので、少しでもそこにいたいという気分が働く。
あいにく、この日水上荘では、どこぞの撮影隊がVシネのロケ中。まいったなァ…遠慮がちに見るしかないのか…と思ったら、そこの監督が知り合いの監督だった。昔は彼のAVに何本も出たというくらいの知り合いね。「なんだ、池さん」「おや、神野ちゃんじゃない」…という感じで助かった。
おかげで、3、4時間ほど水上荘にいられ、ママからは昼食までごちそうしてもらい、なんてラッキー。
暗くなる頃、山梨を立ち、都心にもどる。ロケセットをひとつ見て、今日のところは解散となる。
ロケハンをすると、それまで皆目見当がつかなかったことが、見当くらいはついてくる。ゆっくり熟成されてくるものがある。いつまでも待ってる余裕はないので、ギリギリまで待って、あとは一気に机に向かうのだ。

2004.12.5(日)

下高井戸の下高井戸シネマに向かう途中、道の右側に飲み屋が何軒か並んでる一角がある。その中に「青の奇蹟」という名前の飲み屋があり、オレもその店の名前の特異さと、あのへんにしては珍しく朝まで営業してるということで以前から気にはしてた。
その店で、最近のオレのお気に入りの世志男くんの劇団ソウルリンチのメンバーの一人が一人芝居をやるというので、これは見に行かなくてはとなり出かけたというわけ。
夏にやった世志男くんの一人芝居、そして2週間前に高円寺稲生座でやった市川はるひさんの一人芝居、そして今回は宝田くんの一人芝居だ。タイトルは『廃人の詩』。
結論から言うと、いや〜、ビックリした。余りに面白くてね。少し粗削りなんだけど、そこから飛び抜けてくるものがあるんだな。
今は詳しく語る余裕がないのが残念。
簡単に言うと、一人のオカマの独白で舞台は構成されている。というと、イヤな感じを持つ方が芝居を見なれている人には多いかと思う。いつか見た風景みたいな…。芝居にはよくある手みたいな…。実はオレもそうであったが、見ているうちに、そんな気分を吹き飛ばすほどのエネルギーがこの舞台から立ち昇ってくることに気づいたのだった。
アパートの一室。一人のオカマ。オカマの相棒は一匹の小鳥。オカマはどうやら彼氏が部屋にやってくるのを待っているらしい。彼氏が運んでくるものは…「愛の告白」であって欲しい、いや、そうに違いないとオカマは思っている…。
彼氏がやってくるのは劇の最終章。それまでは、オカマの(演じる宝田くんのといってもいい)情熱とエネルギーの全存在を傾けたかのような狂躁的な独白が一時間もの間、舞台を支配する。そして、狂躁的であればあるほど、それはどこか滑稽で、もの悲しく、そして孤独だ。
というような芝居を、宝田くんは全身を使った体技(そう、カラダワザだ、あれはまさに)で狂躁的に演じていく。宝田くんの動きには昔のコメディアンのアクロバチックな動きを思わせるところがあり、かなり笑える。
そして、笑いの果てにいきなり訪れる悲劇。あれをまさに「劇的」というんだろうな。
この芝居見た人は得したよ。2日しかやってないし、数十人しかいないと思う。なかなかこれだけのものは見れないと思うのだ。オレは得した。
特に衝撃的だったくだりをひとつだけ紹介しよう。オカマの幼き日の記憶。父、母、そして赤ん坊である弟がいる風景。父親に抱かれる幼き日のオカマ(それはHの意味でね)。それをドアのスキ間から見ている母親(コワイ!)。ある雪の夜、母に殺される赤ん坊。その片らには父親の死体が…。母はいきなり狂気の沸点に達したのか?母親に殴られ気絶する少年。朝目覚めると母も弟もいない。外に出ると、雪の中から出ている赤ん坊の手。少年は必死になって雪をかき、埋められていた弟を掘り返し、その亡がらを抱きしめて号泣する…。なんと恐くて酸鼻であることか。そして、美しい。
すごかったね、このくだり。
ついでにもうひとつ。やはり「彼氏」のやってくるエンディングだろう。笑いながら人を殺していくという演出演技にオレは身震いしたね。
この芝居、ぜひとも再演して欲しいね。オレは芝居好きを連れて絶対また行くね。
さてこうして4ヶ月という短期間で、世志男くん、はるひさん、宝田くんとソウルリンチのメンバーの一人芝居を見てきた。それぞれ、芝居の内容そして演技者としても個性があり力強い。でもオレが一番気に入ったのは、今回の宝田くんのヤツだね。オレの好みの世界なんだろうなあ…。ちょっと寺山修司ぽくってね。
そして3人に共通して感心するのは、3人とも演技者としての基本の技術をなおざりにしていないということね。つまり、3人とも実によく体が動くし、セリフも聞き取りやすい。1時間も1人で激しく動き回り語り続けながら、誰一人セリフはろれんないし、スタミナ、体力も十分にある。これって当たり前のようだけど、色んな小劇場見ていると、やれてない演技者の方がはるかに多いわけで、そう思うと、この3人ってすごい。ソウルリンチって一体何?って感じだね。
それにしても、はるひさん、ピンクやらんかなあ…。

2004.12.6(月)〜8(水)

コンテ。

セメントマッチ集合で、演出部打ち合わせ。
夕方から橋口組初号を見せてもらう。ホラー第二弾であった。

2004.12.10(木)

役者リハーサル。普段の五代暁子の台本だと、Hシーンは、「ここで2人のセックス盛り上がる」とだけ書かれ、ほんの1、2行。ところがSM映画となると、「ここでSM盛り上がる」では済まされない。つまり、SMでは、SMの行為自体の中にドラマがあるからだ。いきおいSMの描写のシーンがえんえんと続くことになる。もううんざりというくらい続くのだ。オレの中でのプランクニングが今ひとつ固まっていないというせいもあってか、いつものように楽しいリハーサルとはならなかった。
ただヒロイン役の山口真里が2本分となるかなりの量の衣裳を持ってきていて、自分なりにプランしているので、「このコ、しっかりしてるじゃん」と思い、少しホッとしたか。
夜はその山口とサンモールスタジオまで、天然工房の公演『一郎ラーメン』(森角威之 作・演出)を見に行く。
12回目の公演という。なんかもう20回以上やってんじゃないかというイメージなので、えっ、まだ12回目!?とちょっとビックリする。ま、それほど質量ともにいいものを続けてきたということなんだろうけどね。そしてここ2年ほどは常時千五百人は動員するというかなりのとこまで来てるというわけだ。今回は公演期間が3週間近くに渡るという、オレから見たら大ロングラン。公演回数も23回ということで、いよいよ二千人突破という大目標を見すえているんだろうなと思い、オレも見に行ったというわけ。しかも年に3回も4回も公演をエネルギッシュに続けていた集団が、今年は3月以来の9ヵ月ぶりとなる2回目の公演。よほど天然工房としての実験がたんとつまった舞台なのだろう。
ンー、期待していただけに、ちょっとガッカリといったところかな。一緒に見た山口はというと、かなり面白がってた。まり天然の芝居見て最近思うこと…初めて見る人には面白いが、オレのようにほとんどずっと見てきているものには少しもの足りない…なのだ。
役者のレベルは全体的には上がり続けているとは思うのだが、ヘタするとこれは大いなる予定調和の世界に行っちゃうぞと、ふと思った。
やはり、ホンだ。どうなんだろう? ここらへんで集団劇の発想をいったんストップするってのは? つまり演劇の原点にもどるというか。いや、集団劇は集団劇でいいのだが、シェイクスピアだってギリシア悲劇だって南北だって、必ず主役ってのがいるじゃないか。ハムレットしかりオイディプスしかり伊右ェ門しかりだ。劇の中心にいて、求心力とも遠心力ともなる人物だ。
そういう意味で、ホントの意味での主役が希薄な森角の芝居は求心力が低下してるように感じるのだな。
考えてみると、森角の芝居で出来のよかったものって必ず中心軸たる人物がいたもんね。『クーラー』の弟しかり、『牛どん屋』の店長しかりね。
とまあここまで書いてきてめんどくさくなってきたので森角に直接話そうと思って電話したらタイミングよく出たので、30分ほど話してしまった。その方が簡単だ。ま、ヤツも色々と思い悩んでいるようだが、それがものを創るということだし、ま、いいんでないかい。
何度も言おう。芝居は、やはり、ホンだ。

2004.12.11(土)

中野のポケットで劇団め組の芝居を見る。このくそ忙しい時によくまあ芝居ばかり見てるなあという感じなのだが仕方がない。これでも招待状など来ていた2、3の劇団断ったくらいなのだ。
タイトルは『サンタが江戸にやってきた。』。
鼠小僧のところに、空からサンタクロースが降ってきて、鼠小僧を義賊へと導いてくというお話。いわゆる心暖まるいい話。役者に心地よい劇空間を紡ぎだしてはいる。しかし、この心地よさこそがいわゆる予定調和の世界であり、演劇が本来持ってるはずのまがまがしさ、混沌の魅力から最も遠く離れてしまっているのだ。め組という集団がいわゆるウェルメイド・プレイというものを志向して限り、このような心地よい予定調和の世界に向かっていくのは仕方ないことかもしれないが、オレが演劇に求めるものは、アバンギャルドなまがまがしさ、混沌のエネルギーだ。
オレが初めて見ため組の芝居、清水次郎長が中心となって活躍する奇想天外な幕末ものであったが、その舞台はアバンギャルドなエネルギーに満ちていて、オレはいっぺんではまったものだった。以後、あの手の芝居はめ組で見ることはなくなったが、あの芝居はめ組にとって一過性のものでしかなかったのか? ウェルメイドを志向しつつ、たまにはあの手のアバンギャルドをやることが、より劇団としての魅力をよりアピールすることになると思うのだが…。